2015年度研究プロジェクト

(1) チベット医学の薬材に関する基礎的研究

チベットにおいて10世紀頃に成立したと言われる『四部医典』(rgyud bzhi)はモンゴル語にも翻訳されるなど、チベット仏教徒の基本的医療聖典として中央ユーラシアにおいて広く読まれ実践されていた。四部医典の第二部である「解釈タントラ」(bshad rgyud全31章)の第19章から21章には、チベット高原とその周辺に産出する薬草・薬木・薬石・動物薬などの名前と効能が列挙されている。本プロジェクトは、この薬材の名のもとに、現場のチベット医が実際にどのような植物・鉱物・動物・昆虫などを用いていたかを明らかにすべく、インドと中国で出版された本草書に記された動植物の学名を集積したデータベースを構築する。

(2) モンゴル帝国継承国家論の再検討

14世紀以降の中央ユーラシアには、モンゴル帝国のハーン(カアン)の血統に連なる家系を君主にいただく多くの政権が成立した。このいくつかは、現存する国家もしくは民族の淵源となっている。これらの政権は「モンゴル帝国の継承国家」と呼ばれることもあるが、実際のところ、君主の血統を除いて、何がいかなる意味で「継承」されたのか、具体的に解明されているわけではない。そこで、ユーラシアの東西からいくつかの事例をピックアップし、制度・エスニシティ・物質文化・精神文化といったさまざまな面から、モンゴル帝国からの継承というテーゼの有効性について再検討を加える。

★近代チベット・モンゴル研究会

2012年度末より、上記両プロジェクトの双方から派生・発展する形で、この研究会を立ち上げた。

1909年、ダライラマ13世は清朝から付与された称号を拒否し新称号を名乗り、清軍をさけて英領インドに亡命、1913年、清朝の崩壊をうけてラサに戻り、チベットの自立を宣言した。同様に、ハルハ・モンゴルの王侯も1911年、転生僧ジェブツンダンパ8世を国王に推戴し、清朝からの独立を宣言した。この国家形成期のチベットとモンゴルの歴史研究について、従来は、社会主義政権下の仏教軽視、民主化以後のナショナリズムの勃興を背景に、近代化や国際関係の側面のみに研究が集中してきた。本研究会の目的は従来個別に行われていたチベット・モンゴルの近代史を、チベット史研究者である石濱裕美子・小林亮介、モンゴル近代史研究者の橘誠が連携して、包括的に解明することにある。さらにいえば、現在の政治状況を過去に投影するのではなく、当時の文脈の中でジェブツンダンパ8世とダライラマ13世の王権観、歴史認識、チベット・モンゴル条約への対応などを解明していく。

※なお、上記にとどまらず、本研究所の趣旨に関連する範囲で、随時単発的な、もしくはある程度の継続性をもつテーマを立てて、研究会・勉強会等を行っていく予定である。